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もう50年くらい昔々のことです。草深き愛媛の田舎から、京都の大学に進学することになりました。松山の夜の港からフェリーに乗る前に、母が何度も何度も私の背中をさすって、「頑張っておやりよ」「元気でおやりよ」と励ましてくれました。無口な父は、その後ろでずっと黙って見守っていました。そのころにちょうどこの歌が流行っていて何度何度もこの歌を聞きました。この曲は、両親が貧しいながらもずっと私を支えてくれた気持ちをそのままに伝えてくれているように思います。そして今、母は90歳、父は95歳になって、今でも元気です。元気で生きていてくれていることが、私にはこの上もなく励みとなり、幸せな気持ちにさせてくれます。お母さんお父さん、ありがとう。
八戸13:00発の苫小牧行きのフェリーの中であなたのコメントを読みました。 すいません泣きました
こんな思いに共感してくれる人がいると思うと、感激です。いいですね北の海のフェリーの旅、お気を付けて!
@@masahikosano1548 さん、愛媛県民です。今は大阪行きのフェリーは松山からは出ていません。素敵な思い出話をありがとうございました。
幸せだな ご両親を大切に 親を亡くした後にあの時こうしてやりたかった とか 俺は親に孝行したかな とか 振り返り後悔もあります 必ずあります でも子供が元気でいるのが最高の親孝行です
私は、サダさんと同じ歳ですから、サダさんも九州から出てきて、私も北海道から出てきているから、同じ経験しているんだなと感慨深いものがありました。警察官という公務員の子供で、2歳下の弟も東京に来ます。子供のころは、高度成長期でしたので、安月給の公務員と言われた時代です。1年生の終わりごろからアルバイトを始めました。田舎者ですから、ただ、まじめに働くだけです。3年生になるころには、弟が東京の大学に来ました。弟の大学は、アルバイトができるような大学ではないので、私は、アルバイトだけの生活が続きました。多分、仕送りも断っていた期間は長いと思いますが、今は、覚えていません。アルバイトをしてよかったことは、自分は、仕事ができるということが分かったことです。ただ子供だったので、お客さんの会社社長さんから、仕事を紹介しようかという誘いは、全て断っていました。(仕事は誘われて働いた方が条件がいいことに気が付いたのは、ずいぶん後年でした。)親には、恩返しもできず21年前と20年前に立て続けに両親は亡くなりました。子供がしっかりしていないと親は、早く死ぬものだな。と思っていました。(親は、子供の世話にはならないと若いころから言っていました。しかし、年を取って、病気がちになると子供に頼りたい気持ちになることを理解していませんでした。親は、いつまでも、元気だと思っていました。)皆さん気を付けてください。私は、子供にも、何もしてあげずに高齢者となってしまいました。
あと、3ヶ月したら3月になると長男が就職で遠方へ家を出ます。寝坊で起こしてもなかなか起きない息子、ポテチとマクドナルドが大好きな息子、頑張って中学受験に成功した息子、第一志望の大学に受からずに全く希望してなかった大学進学した息子、不器用で世渡りが下手で引っ込み思案の息子、いざとなれば頼りになる息子、物知りな息子、幼少期はすぐに熱出してた息子、夜尿が治らずあちこちの医者にかかり手術、通院した息子、気にしていた就活も推薦でアッサリ相談もなく決めた息子、この唄には、親の気持ちが代弁されていて自分の気持ちと重なります。涙がポロポロ出ます。巣立つまで数ヶ月!貴重な日々なのに何もできないまま時間だけが過ぎ去っていきます。この唄に癒されています。毎日、毎日、寂しく泣いています。影で泣いています。ワンワン泣いています。心の整理がつきません。めでたい事なのに、縛る気もないのに涙が溢れてきます。どーしょうもないです。こんな日が来るのが信じられません。今日もこの唄聴いて涙を流しています。
「お金ちょうだい」って言うと「またかよ」って言って仕送りをくれる親。自分が稼げるようになった今倍のお金返して楽させてあげようって思って、振り込んだら、「ありがとう」って言われたけどお礼を言うのはこっちなんだよなぁ。。
全く同感
おれも…情けないが…同感…
結婚をしてすぐに夫の両親と同居になり頑張っていた頃、母が一度だけ訪ねて来た事がありました。手には私の好きな物を沢山抱えていました。帰りに駅まで送る途中のアーケード街で、若奥さんなんだから小綺麗にしていなさいと可愛い洋服を何枚か買ってもらいました。駅のホーム迄行こうとしたのに、ここでいいからと言われ改札口で別れました。何度も何度も振り返り大きく手を振っていた母、14年前に母は亡くなりましたが、40年経った今も時々思い出します。さだまさしさんの、誰もが自身に置き換えてその時を思い出させてくれる曲大好きです。
素敵なお便り、ありがとうございます。
ドラマみたいな話、素敵な記憶ですね
中学生まで甘えん坊で、『一生お母さんと一緒に暮らす!』って言ってた次男が東京で就職することになり、新幹線のホームまで見送りに行ったあの日を思い出す。何回聞いても涙が止まらない。
この歌は反則だわ。 もう40年も前になろうとしてるけど、田舎のバス停で俺を見送ってたおふくろの顔が思い出されてなんとも言えない気持ちになる。おふくろはその2年後に他界してしまって会えないが。
言葉がないよ。
俺も、、、
還暦を迎えようとする者です。地元を離れて都会で学生生活を経験した自分は、この曲には涙せずにいられません。送り出してくれた両親も既におりませんが、どんな気持ちで見守ってくれていたのか、仕送りしてくれたのかは、子供が同じように都会の大学に進学したときに、ようやく実感出来た気がします。親への感謝の気持ちを改めて噛みしめました。
元気でいるか、街には慣れたか、友達できたか、実際に父に言われた言葉だからマジで泣けてくる
東京に出てくとき「お前がいないと電気代が浮いて助かるわー」と言って送り出した母親が夜中に台所で泣いてたって妹に聞かされたときはたまらんかったなぁ…
...いいお話しですね。お母様を終生,大事になさってください。それに気づいた,あなたも素敵ですよ...。
@@郡司誠-i7x 有難うございます。親に会える残り回数ってもう決まってるんだなと思いここ数年GWと正月は必ず帰省してたんですが、昨年「そんなに帰って来んでいい、まだ死なんよ」と言われ絶句しました。親って凄いなと思います。
素晴らしいお母様ですね
mi-shuさま、あんな言ったけどまた帰ってこないかなあ、と思っていらっしゃいますよ。 無理しない程度に帰省されてみてください。少しのお土産と、少しの土産話しと一緒に。 人生思い出作りです。
@@mebarukun4186 ハート有難うございます。コロナ禍以降は帰ってませんでしたが、このままではキリがないという思いもあり今度のGWは検討してますw
田舎を離れて都会に出て一人でこれ聞いてたら涙が止まらなかったなぁこれを聞くたび親を大切にしようと思った
涙腺崩壊します💦沖縄の妻と一緒になるため、家族も親せきも友人も居ない沖縄に越してきましたが、去年その妻が他界しました。子も無く身ひとりで生きています。妻も好きだった、さださんのこれ聞くとそんな俺にも親は居るんだなって思います。
東京に転勤になり、朝から晩まで長時間働き、通勤でも、往復3時間くらいかかり、働きずくめの毎日でした、心の中で「案山子」を口ずさみながら、必死にこらえ、辛抱していましたが、働くだけの何もない毎日に、充実感が得られず、半年で会社を辞めました、そんな、東京でのつらい思い出と共に「案山子」がありました。「案山子」が心のささえになっていたのです。
お便りありがとうございます。私は「駅舎」を聞いて元気をもらっていました。
フェアリーショコラsp とと
頑張っぺ!☺️😽🐕😃🚬💨🙇
何度聴いても、涙がとまらない。両親とも87歳83歳で、健在。いつ別れる事になるかわかりませんが、二人の愛で大きくなれた。感謝しています。
うらやましい、なー🤣
私の父は77になりますが癌で医者からあと1年ほどと言われています。。。。そのお年までお元気なのは羨ましい。父は笑って、十分生きてもう悔いはないといっているのが救いです。さださんの歌を聞くと家族に会いたくなります。
@@pepecamp4527 私は、事故で両足なくしました。両方義足はくのは、むつかしいけど、がんばります。
すばらしい、すてきすきますね、歌詞、美しい歌声有り難い、両親の感謝ですよね。大切してねぇ、愛ですね🍀。
思い出しました…遠に他界した両親の事❗️🤗
今年三回忌を済ませた父を思い出します。元気か、お金に困ってないか、いつ帰るか、驚くほど本当にこの詞の通りの人でした。頑固のくせに不器用で無口で、でもいざという時はいつでも私を応援してくれる人でした。父に会いたくなると、この歌を聴きます。また、父の娘に生まれたい。
同じくです。私の父も来年三回忌。91で亡くなりました。心配性で口が悪くて、やさしい言葉など使えないし、それなのに気が小さくて、、。でも愛されました。この曲を聴くと、涙が止まりません。
東京に上きょうしたのは、50数年前昔懐かしい感じ受けます。😂
『金頼む』の一言でもいいってところで大泣きしました。もし親がこの歌のような気持ちで自分の事を思ってくれていると思うと涙が止まりません。本当にいい曲だと思います。
貧乏な農家の子供に精一杯気持ちをかけたくれた母、私が高校を卒業し田舎の駅を発つとき見送りに来てくれた、涙しているのが汽車の窓から見えた。
😊😊
親の運転する車内でよく流れてたけど、ある日初めてこの曲聞いて涙が出てきて、ちょっとだけ自分も大人になったと思った
自分、高校の時に両親と兄を事故で亡くしました。さださんの唄を聞くと家族の暖かさを思い出したり、命の儚さ、大切を思ったりします。このうたを聴くと今でも見守ってくれているようで。
大変ですよね。自分も高校2年の時、病気で母を、高校を卒業してすぐ、父を亡くしました。大学はいかず就職しましたが、両親を亡くして、姉たちは嫁いでいたので、3年後に大学に行きましたよ。思い出はつきない。
きっと温かく見守り貴方のご多幸をお祈り下さっていると思います。大変だと思いますが、どうか頑張ってください。
@@小鳥遊景虎?
親父が大好きな曲です。仕送りをしてくれた親父は決して恩義を求めませんでした。だから私は息子に対して見返りのない仕送りを続けています。親の愛は それでいいのだろうと思います。
素晴らしいお話です!
必ず 泣いてる。みんな 東京がイイと言って田舎から出ていくのに、あんたはって、母さんはいつも言ってた。母さん 亡くなって20年経つけど、会いたいなぁ。そんな時 案山子を聴くの。母さんの言葉を聞いているようで、ただ 泣く。
20歳の娘が就職で巣立って行きました。同じ頃、親父がこの歌をカラオケで歌っていたのを思い出し、聴きに来ました。号泣です。自分の思いを、親もしていたんだなと。人生は繰り返すのですね。
今のさださんがこの曲を作るなら判るけど、当時、まだ若い頃のさださんが作ったんですよねえ。凄すぎるとしか言いようがないです。
今年の2月から東京の実家を離れて大阪の大学に進学した大学1年生です。中学から続けていたスポーツの実績を認めてもらい、推薦で大学に進学しました。自負するのも恥ずかしいですが、高校では選抜選手に選ばれたりするほどの選手でした。しかし、大学の部活では自分より上手い選手が沢山いて自分は下手と言われてしまう始末。慣れない方言で「お前やる気あるんか?」「お前には変わろうとする姿勢がみえん」「なんでそんなに下手なん?」と言われ。家に帰っても1人暮らしで辛い気持ちを打ち明けられる人が誰もいない辛い日々です。昔から両親の影響で昭和の歌が好きで、「案山子」はApple musicの自分のプレイリストに入れていました。風呂でApple musicのランダム再生で歌を聴きながらシャワーを浴びている時に、ふと「案山子」が流れて来ました。最初はなんとも感じませんでしたが、「お前も都会の雪景色の中でちょうどあの案山子の様に寂しい思いしてはいないか?」というフレーズが流れて来たところで急に涙が溢れて来てしまい、1人で号泣してしまいました。今度、母に電話してみようかなと思います。親と話せば気持ちが楽になるかもしれないので。
還暦過ぎの爺です。昭和の人間なので敢えて男、と言わせてもらいます。天狗になっている鼻を折られ、人の冷たさ、厳しさを身を持って知る事、男なら1度は通る道です。大人になるとはそういうことです。ここまで理路整然と、そして素直な心で書ける貴方なら、人生の宝といも言える友人にも恵まれ幸せを実感しするでしょう。でも、自分を壊すほど、どうしても堪えきれなければ親元に帰りなさい。三十六計逃げるに如かず、親ごを泣かさぬことが一番の親孝行ですよ。
ぜひ、お母様に声をきかせてあげて下さい。つらい事も、あると思いますが明るく乗り切ってください。大丈夫ですさださんの関白失脚聞いてみてください!元気がでますよ😮
元気でいるか、初めの一節で涙あふれます。19で初めて一人暮らし始めた頃、長崎空港へ向かう車でラジオから流れて来たこの曲。父はボリュームを上げるのでなく、下げた。聴くのがつらかってらしい。そんな父も86歳。私58歳。心に浸みる一曲です。
心静にふるさとを感じてありがとうお思いになりました
45になってこの歌詞がしみじみわかってきた。若いうちにこれが書けるさださんは僕にとって雲の上ですよ。
自分は高校のとき今まで我慢してたものが切れて父親と喧嘩してそこから一言も喋らなくなりました。それで関西から関東の大学に行き家を離れましたが毎月大量の食べ物など仕送りが送られてきてその当時は多過ぎてうざいと思っていましたがおじいちゃんが亡くなって3年ぶりに帰り父親と会い、昔からめちゃくちゃ厳しくて謝る事なんかなかった父親が、ほんまに来てくれてありがとう。ごめんなと言われた時は泣きそうになりました。それからちょくちょく会って一緒にお酒飲んだりして父親は恥ずかしがっていいませんが母親がお父さんずっとさだまさし聞いてて仕送りも父親からって知って昔我慢してた事など吹き飛ぶ位父親に感謝しかありません。
読みながら思わず泣いてしまいました……。
いい時代の歌ですね😃切なくなりました💦
誰が泣かせって言った?! いい話を有難う!!!!
こんなにも、優しい親御さんがいるのでしょうか。さださんはいつも私を暖かく優しい気持ちにしてくれます。こんな歌手のかた、他に知りません。
この曲は自分がまだ20くらいの頃の曲で、その頃は聴いても単に良い曲としか思いませんでしたが、もう両親も他界し、孫も居るような歳になった今聴くと涙が止まらなくなります😭 きっと天国で親が聴いて、歌詞のように今でも自分のことをいつも心配してくれているでしょう…親って本当に有難いです。
亡くなった親を、二十を超えた息子を、誰を思っても涙が出てくる歌です。ありがとう。
亡くなったお袋を想い出して涙が出た 東京の大学に行かせてくれてありがとう
自分が小さい頃、親が聞いててメロディだけは好きだったけど、歌詞が理解できなかった。大学生になったいま何となく聞いてみたら泣けてきた。頑張ろう
頑張れ!無理せずにね❣️
20年前、父親と喧嘩して、車に少しの荷物を積んで、出て行った息子。お金も、僅かばかり、私の財布にあったお金を追いかけて、手渡し、それから10年帰って来なかった息子。その時のことを、この曲を聴くたび涙が頬をぬらします。これ
県外に行った、息子を思い出し涙が止まらなくなるので、今は、あまり聴けません。この曲を聴きながら、それぞれが自分の人生と重なり合わせ、自然に涙が出るのだと思います。もう40年以上も前の曲ですが、いつの時代も日本人の心に寄り添い色褪せない、昭和を代表する、名曲だと思ってます。あと、1年くらいしたら、いっぱい聴きます!
息子が家を出ました自分でもびっくりするくらいこの歌詞が染み渡ります
今日、息子が大学進学のため家を出ました。一日中メソメソの私。買い物行っても息子がいつも食べてたチャーハン…もう、ストックしなくていいんだって思っては涙😢このお菓子も買わなくていいんだって思っては涙😢早く息子のいない生活に慣れなくては!がんばれ!母!
親の心子知らず それでもいいのかもしれませんね
私も長女が明後日引っ越します。やはりそんな感じになりますよね。受験中は必死だったのでそんなこと思いませんでしたが、最近はこの曲をしみじみ聞いています。まだ同じ関東圏内だから良しとしなくてはと、自分に言い聞かせてます。
@@takakiist 同じ関東圏内なんですね。こちらは東北から関西方面です。遠い😭息子が出て一日たちますが、ふと普通に帰って来る気がして…息子の部屋も見ると泣けます😢勉強している様子、寝ている様子、思い出しては涙😢何日過ぎたら涙でなくなるのかなぁ🙍しかし、泣いてばかりもいられません!お互い子供の大学生活全力で応援しましょうね!
頑張りましょういつか巣立つ、早く巣立ってくれ と思ったこともあったけれど母親はむずかる幼い時抱きしめていた頃いつまでもいつまでも忘れられない
頑張れ 母!! 鏡に向かって 「お前がいなくても おかんはへーきだもんね!」とあっかんべ~をしろ! いつか涙があきれ果てる・・よ。がんばれー 母❤
自分の親のことを思い、そして自分の娘のことを思い、どちらを思っても泣けてきます。
大学進学のために春から一人暮らしを始める私に、父が「さだまさしの案山子聴かなきゃな」と冗談のように言ってきてこの曲を知りました。現在大学四年生。母から、「一人暮らし始めた頃、この曲聞いてお父さん本当に泣いてたんだよ」と言われ、今更ながら父の愛を感じました。お父さん、ありがとう。次の春から社会人。絶対恩返しするから長生きしてね。
そんな貴方に個人的にお勧めしたいのは、こちらの曲でしょうか。バイオリン演奏家(音大進学)への夢破れて郷里長崎に舞い戻ったさださんの実体験が下地にある、後年の曲です(『駅舎』)。ruclips.net/video/s_e4qoQbnZo/видео.html
さだまさしは現代の吟遊詩人だと思います。私は、精神科の医者ですがさだまさし さんの感性が大好きです。優しさと言うか医療福祉にもつながるところがあると思います。
さだまさしの歌でうつ病から立ち治ったという人がいましたからね。精神の病に苦しんでいる人にも支えになる歌がありますね。
東京で一人暮らしをして数年。未だに「たまにでいいから電話をくれ」と言う父親のことを思い出して涙が止まりませんでした。近いうちに一度実家に帰ります。お金はあまりないけど、元気にしてるよ。友だちも出来たよ。
高齢者です、情け無いですが、泣きたくなる時によく聞いています今はいない母親を思い出してしまいます。
どうしてたまに泣きたくなるんでしょうか?私も時々あります…
九州から上京して数年経った今。子供のころに父を亡くしたが、その父が言っているように思える。お母さん、おばあちゃん、俺がんばってるぞ。苦しいことばっかりだけど、負けてたまるか!って思う。
それをコメント欄に書くことかな?
頑張って✌️
初めて息子が一人暮らしをするので、今日名古屋に行きました。私が10代の頃には、この歌がピンとなかったのですが 今は、歌詞に出てくるおふくろの気持ちがすごくわかって、涙が止まりませんひと言でもいいから無事に生活していたことを知らせてほしいです。本当に名曲ですね😂感動しました。ありがとうございます。
赤ちゃんの時に原因不明な病気で心配で、、その息子が頑張って一浪して今年から大学を受かって愛知から山口に。。一人で頑張っている息子には、父は無力なんですが、山口の方々の優しさでなんとかやっている。ありがとう。
歌はもちろん素晴らしいそしてここに書き込まれているコメントの一つひとつもそれぞれの家族かたちや思いが綴られていて涙が出ます
この歌は身に積まされます。19の年、貧しい無学な両親の元を離れ、1人アメリカに渡りました。切り詰めて切り詰めて、電話もままならぬ大きな距離に阻まれながら、アメリカの大学を出してくれた両親。母は一昨年亡くなりました。アメリカの大学で、さださんの秋桜をタレントショーで歌い、アジア人として初めて優勝しました。良い曲は、言葉がわからなくても、外人にも伝わるんですね。案山子も何度か歌わせてもらいましたが、その度に涙が込み上げてきて、歌い切れた試しがありません。沢山の心撃つ歌を作ってくださり、ありがとうございます。これからもどんどん、良い曲を残してください。
コメ欄が親心で溢れてて泣く
この歌を聴くとコロナの為、約2年以上も帰って来ない娘の事を思って切ないです😢又以前のように家族が全員そろう日が来て欲しいです‼️
昭和生まれには、この唄は切な過ぎて、胸に沁み入ります。そして、必ず泪してしまいます。
さだまさしさんの曲はいい曲ばかりだよ。案山子の曲は昔からずっと聴いていたよ。これからもずっと大切に歌い続けてほしいです。ありがとう。
この曲を聴くと、今年の春から、独り暮らしを始めた息子のことを、思い出します。
学生時代も聴いて泣きましたが、30年後、娘をコロナ禍の中、東京の大学に出して聴くとまた泣ける。立場が違っても響く詩です。
とても地味な曲。だけど猛烈なメッセージが込められた名曲。さださんは間違いなく魂を削って創った作品だと思う。後世に残したい名曲に推したい。今、とても感動して書いてます・・・。
素晴らしい曲に感心します。私も父から金を送って貰って東京で学生時代時代を過ごしました。いつか父にお返しをしようと思っていました。今は我が家のために娘を育て恩返しして父にいつも仏壇に手を合わせています。
地味かなぁ?w
約40年前の作品ですよ!映像がいつのかわからないけど、若干25歳でこの詩とこの曲を書いて演奏して唄える人、いまいるかしら?なんでこういう文化が育たなくなったのか・・・残念。
息子が大阪の大学を、退学して、半ば強引にニューヨークの美大に行ってしまった時に、丁度、この曲が流れていました。私達の気持ちそのままで、主人は涙をながしていました。あれから 25年、今は日本でデザイナーとして、頑張っています。
親の影響で、16歳というバリバリ平成っ子ですが、小学生の頃からさだまさしさんやその他昭和のアーティストが好きでした。しかし周りに一昔前の曲を聴く人は中々いません。現代っ子のほとんどは恐らくさだまさしという名前すら知らないと思います。もし将来子供ができたら聞かしてやろう、この曲。
おお同士よ、自分は18ですけどそんな感じでさだまさしさんはよく聞きますね人情を感じていいですよね
私も親の影響で10歳くらいからさださんの曲を聞くようになりました。最近では親の影響を受けたさだまさしファン2世も増えてきているみたいですね。
CSObereko わかる、分かります。涙が出るほどいい曲なのに誰も知らない…結局この話で盛り上がるのは先生達だけww
私は祖母の影響で聞くようになって、他にも父から吉田拓郎や中島みゆき等色々な歌を聞かせてもらって、今の歌を聴く意味が分からなくなって結果大人としか話が合わなくなったのを思い出しますw
字幕実況者R 共感させてください。
リアルで聞いていたけど親になって改めて沁みる歌。親って無償の愛を子供に注ぐんだよね。泣けてくる。
コロナの中、なかなかご両親やお子さんに会えない状況でこの曲は多くの方の心に響くと思います
55歳のオジサンです。このPVを見ると、いまだに涙が出てきます。職は違えど一人娘。俺も訳有って一人娘を育て、今も号泣です。
日本留学時代にさだまさしさんの曲を周りの留学生に紹介すると、なぜかみんなハマってました。。。歌詞と言い、歌い方と言い、ギターの弾き方と言い、留学時代に求めていたニッポンがここにあったような気がします
お金はあるけど寂しか。。。まさか令和の時代にこんなに故郷と両親を恋しくなる日常になるとは。さださん偉大です!
親は子供が何歳になっても我が「子」、そしてその受けた愛情に気づき親に感謝している歌だと自分は感じています。 寂しくないか、お金はあるか、と…いつも自分の心配をしてくれてた…と思うのです。
こういう歌を聴いて必ずお母さんを思って泣いちゃうくらい、私はお母さんに愛されて生きてきた
この歌を聞くと父を思い出し、涙が止まりません。ちょうど大学に行っていた頃に聞いた歌です。
こういう時代だからこそ、温かみのある歌詞が胸に刺さる。
去年は長男、今春は次男がそれぞれ新天地へ向かいました。初めて案山子を聞いて自然と涙が流れました。情景が浮かび辛い、、。息子の住む街の方々、息子をよろしくお願いしますm(__)m
いい歌です。家族っていいですね。涙が止まりません。
大学生二人の親です。二人とも家を出て下宿してます。先日長男が「金送れ」って。(笑)思わずこの歌を思い出して聞いてみました。何時の時代になってもいい曲ですね。
親父に親孝行する前に逝ってしまった。めちゃくちゃ後悔した。本当にここまで兄弟育ててくれてありがとう。日本一の親父や。
自分が親になって、この歌詞に涙が出ます。
何年前か、、、ずいぶん昔、、、テレビでさださんが唄うこの曲を聴いて涙ぐむ母を見て、もらい泣き
自衛隊に入隊して2年が経ちます。絶対三曹になって親孝行します。母さんと父さんの声が聞きたくなりました。実家に帰りたい。
任務ご苦労さまです。頑張ってください!
頑張ってな。
日々大変だと思いますが、少しの時間が出来た時にでも電話一本かけてみてあげてください。言わないだろうけど、内心喜ぶのではないでしょうか。(^^)
頑張ってね!^_^
歌詞がすごいのはもちろん、さださんの歌い方のおかげで歌詞がしっかり聴こえてくる。だからこそ一層心に響く。
❤
”親孝行したいと思う時には親は無し”の言葉が身に染みる。
子欲养而亲不待
この春から息子が関西の大学に進学します。手紙など書くはずもなく親の思いは知る由もないでしょう。それにもう電話ではなくメールでお金の催促をしてくるでしょう。親心にじんわりとしみ込んで胸を熱くします。
こういう歌を紅白で聞きたい!
紅白は遠い昔に諦めました。全く興味無いし、楽しめない。だからBSでもいいから、こういう曲やさ、もっと放送するべき名曲あるしアーティストもいるし、もうちょい考えたほうがいい。
@@naochant875 全くその通りです!!!
ほんとだね。くだらねえ歌ばっか出しやがって。
@@naochant875
この曲聴いてると、自然と涙が出ます🥺色んな事、思い出して😂
実家から遠く離れた千葉、神奈川、東京に出ていた頃を思い出して泣けてきました。大学生当時、独り暮らしのアパートの部屋で、さださんの案山子をカセットテープで何度も聴いてました。今は亡き父に対して半分ほど反抗心があって遠方に行ったのですが、随分心配を掛けたなあと、この曲を聴く度に、つい昨日のことのように思い出してます😂
歌では無くこれは(さだ小説)だ。何気無い日常を歌って感動させる才能が凄いと思う。
浪人生、大学生のころ母親がこの曲を聴くと涙がこぼれるって言ってたなあ。40年くらい前です。
大学の頃、一人部屋で聞いて半人前ながら、ただ泣きました。田舎の両親の頑な愛情とか、実直な不器用さとか、いま、あらためて感じ、感謝します。本当にありがとう。決して裕福でない家庭で、私立大学の仕送りは、並大抵では無かったと、今はわかる。でも、俺は真面目に授業にいかないで、馬鹿ばかりしていた。本当にごめん。それでも、最後まで愛してくれて、ありがとう。この曲に再び出会えて感謝します。
人生ってそれでいいのだと思います。解ったときからそれを身近な人にしてあげれば。
聴く度聴くたびに感動します!特に『お金はあるか?』『今度いつ帰る?』涙が止まりません❗
子供が大学で長崎に行き、この歌を知り歌うたびに、涙が出て最後まで歌えませんでした。今は息子も結婚して埼玉に孫が2人目が7月に生まれます。
賑やかな友達の中には入らず、横目に微笑みながら見守る息子は自ら友達を育むことを望まない男の子でした。そこで、中学卒業後の進学先は函館の高等学校に進学。同級生、先輩たちとの寮生活・・・そんな不器用な息子も生きる術という叡智を学び始めました。寮生の多くは、口を揃えて「親の有難味を知った…」とNHKの取材で語っていたのが印象的でした。帰路は飛行機ではなく、列車でゆっくり車窓の景色を堪能しながら帰宅するという。何かを噛みしめる様に・・・案山子のような息子も歳を重ねて逞しくなるのを見るたびに、親としてこの曲をしみじみ聞き入る毎日です。さだまさしさんの歌の歌詞には、心が揺さぶられる思いです。
仕事中、移動しながら何となく聴きたくなって聴きました。思えば、大学入学を機に親元を離れて5年。新卒1年目で右も左も分からない毎日に、心をすり減らしていたのだと聴きながら気づき、知らず知らずのうちに涙が出ていました。本当は生まれ育った故郷で働き、親のそばで暮らしたい気持ちはあるが、現実はそううまくいかない。まだ両親は健在ではあるが、長い人生何があるか分からない。ちょくちょく実家に帰って他愛もない話をしたい。
なんでこんなに涙が溢れてくるんだろ
つ 歳
@@伊鈴屋ヒミコ 草
@@伊鈴屋ヒミコ間違いではないよな涙腺の緩さは年齢に比例するしな😂
初めて東北から就職した自分を思い出し、今でも涙が出てたまりません。今は亡き両親が、いつも私を心配してくれてました。あの時は有難うございました。大好き❤💕な曲です。
上京したての頃、さだまさしのラジオ番組でこの曲が流れた。あんなに憧れた都会は華やかだけど火が消えるととても冷たい寒い所だった。毎月送られてきた手紙入りの小包とテレフォンカード。手紙が無理なら電話でもいい。ああ、そうなんだ。寂しいのは自分だけではないんだなと。息子が大きくなったら、どう思うのだろうか。もういないけど父さん母さんに会いたい。
あなたのその感性大事にしてくださいね。
さださんのコンサートに初めて行った時に、1曲目にこの曲を歌って、その優しい歌声が胸に響いて、気付いたら涙が止まりませんでした。親の有り難さが身に染みます。
この人は天才すぎるわ
この歌を聞く度、オレオレ詐欺とか還付金詐欺で人の心を踏みにじる奴らを許せなくなる。涙しかない。
案山子の2番の歌詞、「お前も都会の雪景色の中で、丁度あの案山子の様に、寂しい思いしてはいないか、体をこわしてはいないか」子どもの事を想う親心に、心が熱くなります。感動して涙があふれます。
そのフレーズで私も胸が熱くなりました。私は今年の春から実家を離れて1人暮らしを覚悟でスポーツ推薦で大学に進学した者です。いくら推薦と言えども、先輩方や同期は一流の選手ばかり。もてはやされた高校時代とは違い、「下手くそ」と罵られる始末。慣れない方言で先輩方から怒鳴られて、辛くて、家に帰りたくて、親に悩みを打ち明けたくて、1人で辛い気持ちを抱えていました。そんな気持ちの時に偶々、さださんの「案山子」が流れて来て「お前も都会の雪景色の中でちょうどあの案山子のように寂しい想いしてはいないか」というフレーズを聞いた瞬間に涙がボロボロ出て来てしまいました。1人で家で号泣しました。今度、親に電話してみようかと思います。
私自身が親にかけてほしかった言葉が歌詞にあり過ぎて、辛い。互いに思いありが足らないから、死ぬまでに親から聞く事が出来ない言葉が詰まった歌。
この歌は、親から離れて暮らしたあの頃を思い出します。親になっても同じ気持ちになります。
景色を歌い上げ、過ぎ去った時間を貫く子を思う親の愛。どんなやさぐれたり、力尽きてつっぷすしかないときに、この曲を聞くと残りの命を燃やし尽くして精一杯生きなきゃって思う。そして、故郷の両親に話しかけたい・・・。まだ目をつぶれない。
さだまさしさんの曲はどれも名曲!案山子は特に名曲!何度聞いてもジーンと来て涙出る、
口には出さないが、常に娘を想っている父親。感極まりました。
母が案山子を聴いて泣いてました。案山子はいい歌ですねー!都会へ行って暮らしている子どもの事が心配なんですね🌸寝る前に毎日聴いて寝ています♪カラオケ練習して母に聴いてもらっています♪
今年の春、息子が京都の大学に進学し、我が家から送り出しました。1988年春、私が、静岡から名古屋に大学進学に伴い、自宅を離れました。子を持って知る親の恩を、実感し、今、この動画を見て感涙している次第であります。
何回聞きに来ても泣いてしまう。車の中で聞いても泣く。元気じゃいれないことも多いし世界にひとりぼっちでいるような感覚が増えた。そんな中でこの曲を聞くと自然と涙が出る。
今何不自由なく過ごせてるのは母親のおかげ。天国の母親に感謝します。
この歌聴くと思い出します。53年前大阪へ就職、母からの手紙同じ様な出だし、元気か慣れたか。涙が出ます、、。
下宿生活を始めてすぐ「金送れ頼む」の電報を打った。「仕送り増やせぬ」の返事。借金して学校へ行かせてくれた母も、生活が苦しかったのだ。バイトして帰省、会うなり「痩せたねぇ」母も白髪が増えていた。半世紀前が夢の中だ。
竹原博愛 夢の中でもいい思い出じゃねーか!いい思い出があるんだからいいじゃねーか!だろ?違うか?
いつも空腹で辛い思い出しかありませんが、忍耐力と生き抜く術を学んだことで、いい経験をしたと思っています。
昼食抜きを知っていた学友がある日、ヘビを捕まえ捌いて塩茹でにして食べさせてくれた。樋田くん元気にしていますか❤
長生きして下さい👩
もう50年くらい昔々のことです。草深き愛媛の田舎から、京都の大学に進学することになりました。松山の夜の港からフェリーに乗る前に、母が何度も何度も私の背中をさすって、「頑張っておやりよ」「元気でおやりよ」と励ましてくれました。無口な父は、その後ろでずっと黙って見守っていました。そのころにちょうどこの歌が流行っていて何度何度もこの歌を聞きました。この曲は、両親が貧しいながらもずっと私を支えてくれた気持ちをそのままに伝えてくれているように思います。そして今、母は90歳、父は95歳になって、今でも元気です。元気で生きていてくれていることが、私にはこの上もなく励みとなり、幸せな気持ちにさせてくれます。お母さんお父さん、ありがとう。
八戸13:00発の苫小牧行きのフェリーの中であなたのコメントを読みました。
すいません泣きました
こんな思いに共感してくれる人がいると思うと、感激です。いいですね北の海のフェリーの旅、お気を付けて!
@@masahikosano1548 さん、愛媛県民です。今は大阪行きのフェリーは松山からは出ていません。素敵な思い出話をありがとうございました。
幸せだな ご両親を大切に 親を亡くした後にあの時こうしてやりたかった とか 俺は親に孝行したかな とか 振り返り後悔もあります 必ずあります でも子供が元気でいるのが最高の親孝行です
私は、サダさんと同じ歳ですから、サダさんも九州から出てきて、私も北海道から出てきているから、同じ経験しているんだなと感慨深いものがありました。警察官という公務員の子供で、2歳下の弟も東京に来ます。子供のころは、高度成長期でしたので、安月給の公務員と言われた時代です。1年生の終わりごろからアルバイトを始めました。田舎者ですから、ただ、まじめに働くだけです。3年生になるころには、弟が東京の大学に来ました。弟の大学は、アルバイトができるような大学ではないので、私は、アルバイトだけの生活が続きました。多分、仕送りも断っていた期間は長いと思いますが、今は、覚えていません。アルバイトをしてよかったことは、自分は、仕事ができるということが分かったことです。ただ子供だったので、お客さんの会社社長さんから、仕事を紹介しようかという誘いは、全て断っていました。(仕事は誘われて働いた方が条件がいいことに気が付いたのは、ずいぶん後年でした。)
親には、恩返しもできず21年前と20年前に立て続けに両親は亡くなりました。子供がしっかりしていないと親は、早く死ぬものだな。と思っていました。(親は、子供の世話にはならないと若いころから言っていました。しかし、年を取って、病気がちになると子供に頼りたい気持ちになることを理解していませんでした。親は、いつまでも、元気だと思っていました。)皆さん気を付けてください。
私は、子供にも、何もしてあげずに高齢者となってしまいました。
あと、3ヶ月したら3月になると長男が就職で遠方へ家を出ます。
寝坊で起こしてもなかなか起きない息子、ポテチとマクドナルドが大好きな息子、頑張って中学受験に成功した息子、第一志望の大学に受からずに全く希望してなかった大学進学した息子、不器用で世渡りが下手で引っ込み思案の息子、いざとなれば頼りになる息子、物知りな息子、幼少期はすぐに熱出してた息子、夜尿が治らずあちこちの医者にかかり手術、通院した息子、気にしていた就活も推薦でアッサリ相談もなく決めた息子、この唄には、親の気持ちが代弁されていて自分の気持ちと重なります。涙がポロポロ出ます。巣立つまで数ヶ月!貴重な日々なのに何もできないまま時間だけが過ぎ去っていきます。この唄に癒されています。毎日、毎日、寂しく泣いています。影で泣いています。ワンワン泣いています。心の整理がつきません。めでたい事なのに、縛る気もないのに涙が溢れてきます。どーしょうもないです。こんな日が来るのが信じられません。今日もこの唄聴いて涙を流しています。
「お金ちょうだい」って言うと
「またかよ」って言って仕送りをくれる親。
自分が稼げるようになった今
倍のお金返して楽させてあげようって思って、振り込んだら、
「ありがとう」って言われたけど
お礼を言うのはこっちなんだよなぁ。。
全く同感
おれも…
情けないが…
同感…
結婚をしてすぐに夫の両親と同居になり頑張っていた頃、母が一度だけ訪ねて来た事がありました。手には私の好きな物を沢山抱えていました。
帰りに駅まで送る途中のアーケード街で、若奥さんなんだから小綺麗にしていなさいと可愛い洋服を何枚か買ってもらいました。駅のホーム迄行こうとしたのに、ここでいいからと言われ改札口で別れました。何度も何度も振り返り大きく手を振っていた母、14年前に母は亡くなりましたが、40年経った今も時々思い出します。
さだまさしさんの、誰もが自身に置き換えてその時を思い出させてくれる曲大好きです。
素敵なお便り、ありがとうございます。
ドラマみたいな話、素敵な記憶ですね
中学生まで甘えん坊で、『一生お母さんと一緒に暮らす!』って言ってた次男が東京で就職することになり、新幹線のホームまで見送りに行ったあの日を思い出す。何回聞いても涙が止まらない。
この歌は反則だわ。 もう40年も前になろうとしてるけど、田舎のバス停で俺を見送ってたおふくろの顔が思い出されてなんとも言えない気持ちになる。おふくろはその2年後に他界してしまって会えないが。
言葉がないよ。
俺も、、、
還暦を迎えようとする者です。
地元を離れて都会で学生生活を経験した自分は、この曲には涙せずにいられません。
送り出してくれた両親も既におりませんが、どんな気持ちで見守ってくれていたのか、仕送りしてくれたのかは、子供が同じように都会の大学に進学したときに、ようやく実感出来た気がします。
親への感謝の気持ちを改めて噛みしめました。
元気でいるか、街には慣れたか、友達できたか、実際に父に言われた言葉だからマジで泣けてくる
東京に出てくとき「お前がいないと電気代が浮いて助かるわー」と言って送り出した母親が夜中に台所で泣いてたって妹に聞かされたときはたまらんかったなぁ…
...いいお話しですね。お母様を終生,大事になさってください。それに気づいた,あなたも素敵ですよ...。
@@郡司誠-i7x 有難うございます。親に会える残り回数ってもう決まってるんだなと思いここ数年GWと正月は必ず帰省してたんですが、昨年「そんなに帰って来んでいい、まだ死なんよ」と言われ絶句しました。親って凄いなと思います。
素晴らしいお母様ですね
mi-shuさま、あんな言ったけどまた帰ってこないかなあ、と思っていらっしゃいますよ。
無理しない程度に帰省されてみてください。少しのお土産と、少しの土産話しと一緒に。
人生思い出作りです。
@@mebarukun4186 ハート有難うございます。コロナ禍以降は帰ってませんでしたが、このままではキリがないという思いもあり今度のGWは検討してますw
田舎を離れて都会に出て一人でこれ聞いてたら涙が止まらなかったなぁ
これを聞くたび親を大切にしようと思った
涙腺崩壊します💦
沖縄の妻と一緒になるため、家族も親せきも友人も居ない沖縄に越してきましたが、
去年その妻が他界しました。子も無く身ひとりで生きています。
妻も好きだった、さださんのこれ聞くとそんな俺にも親は居るんだなって思います。
東京に転勤になり、朝から晩まで長時間働き、通勤でも、往復3時間くらいかかり、働きずくめの毎日でした、心の中で「案山子」を口ずさみながら、必死にこらえ、辛抱していましたが、働くだけの何もない毎日に、充実感が得られず、半年で会社を辞めました、そんな、東京でのつらい思い出と共に「案山子」がありました。「案山子」が心のささえになっていたのです。
お便りありがとうございます。私は「駅舎」を聞いて元気をもらっていました。
フェアリーショコラsp とと
頑張っぺ!☺️😽🐕😃🚬💨🙇
何度聴いても、涙がとまらない。両親とも87歳83歳で、健在。いつ別れる事になるかわかりませんが、二人の愛で大きくなれた。感謝しています。
うらやましい、なー🤣
私の父は77になりますが癌で医者からあと1年ほどと言われています。。。。
そのお年までお元気なのは羨ましい。
父は笑って、十分生きてもう悔いはないといっているのが救いです。
さださんの歌を聞くと家族に会いたくなります。
@@pepecamp4527 私は、事故で両足なくしました。両方義足はくのは、むつかしいけど、がんばります。
すばらしい、すてきすきますね、歌詞、美しい歌声
有り難い、両親の感謝ですよね。大切してねぇ、愛ですね🍀。
思い出しました…
遠に他界した両親の事❗️
🤗
今年三回忌を済ませた父を思い出します。
元気か、お金に困ってないか、いつ帰るか、驚くほど本当にこの詞の通りの人でした。
頑固のくせに不器用で無口で、でもいざという時はいつでも私を応援してくれる人でした。
父に会いたくなると、この歌を聴きます。
また、父の娘に生まれたい。
同じくです。私の父も来年三回忌。91で亡くなりました。心配性で口が悪くて、やさしい言葉など使えないし、それなのに気が小さくて、、。でも愛されました。この曲を聴くと、涙が止まりません。
東京に上きょうしたのは、50数年前昔懐かしい感じ受けます。😂
『金頼む』の一言でもいいってところで大泣きしました。もし親がこの歌のような気持ちで自分の事を思ってくれていると思うと涙が止まりません。本当にいい曲だと思います。
貧乏な農家の子供に精一杯気持ちをかけたくれた母、私が高校を卒業し田舎の駅を発つとき見送りに来てくれた、涙しているのが汽車の窓から見えた。
😊😊
親の運転する車内でよく流れてたけど、ある日初めてこの曲聞いて涙が出てきて、ちょっとだけ自分も大人になったと思った
自分、高校の時に両親と兄を事故で亡くしました。さださんの唄を聞くと家族の暖かさを思い出したり、命の儚さ、大切を思ったりします。このうたを聴くと今でも見守ってくれているようで。
大変ですよね。自分も高校2年の時、病気で母を、高校を卒業してすぐ、父を亡くしました。大学はいかず就職しましたが、両親を亡くして、姉たちは嫁いでいたので、3年後に大学に行きましたよ。思い出はつきない。
きっと温かく見守り貴方のご多幸をお祈り下さっていると思います。
大変だと思いますが、どうか頑張ってください。
@@小鳥遊景虎?
@@小鳥遊景虎?
親父が大好きな曲です。
仕送りをしてくれた親父は
決して恩義を求めませんでした。
だから私は息子に対して見返りのない
仕送りを続けています。
親の愛は それでいいのだろうと
思います。
素晴らしいお話です!
必ず 泣いてる。
みんな 東京がイイと言って田舎から出ていくのに、あんたはって、母さんはいつも言ってた。
母さん 亡くなって20年経つけど、会いたいなぁ。
そんな時 案山子を聴くの。
母さんの言葉を聞いているようで、ただ 泣く。
20歳の娘が就職で巣立って行きました。同じ頃、親父がこの歌をカラオケで歌っていたのを思い出し、聴きに来ました。号泣です。自分の思いを、親もしていたんだなと。
人生は繰り返すのですね。
今のさださんがこの曲を作るなら判るけど、当時、まだ若い頃のさださんが作ったんですよねえ。
凄すぎるとしか言いようがないです。
今年の2月から東京の実家を離れて大阪の大学に進学した大学1年生です。
中学から続けていたスポーツの実績を認めてもらい、推薦で大学に進学しました。
自負するのも恥ずかしいですが、高校では選抜選手に選ばれたりするほどの選手でした。しかし、大学の部活では自分より上手い選手が沢山いて自分は下手と言われてしまう始末。
慣れない方言で「お前やる気あるんか?」「お前には変わろうとする姿勢がみえん」「なんでそんなに下手なん?」と言われ。
家に帰っても1人暮らしで辛い気持ちを打ち明けられる人が誰もいない辛い日々です。
昔から両親の影響で昭和の歌が好きで、「案山子」はApple musicの自分のプレイリストに入れていました。
風呂でApple musicのランダム再生で歌を聴きながらシャワーを浴びている時に、ふと「案山子」が流れて来ました。最初はなんとも感じませんでしたが、「お前も都会の雪景色の中でちょうどあの案山子の様に寂しい思いしてはいないか?」というフレーズが流れて来たところで急に涙が溢れて来てしまい、1人で号泣してしまいました。
今度、母に電話してみようかなと思います。親と話せば気持ちが楽になるかもしれないので。
還暦過ぎの爺です。昭和の人間なので敢えて男、と言わせてもらいます。天狗になっている鼻を折られ、人の冷たさ、厳しさを身を持って知る事、男なら1度は通る道です。大人になるとはそういうことです。ここまで理路整然と、そして素直な心で書ける貴方なら、人生の宝といも言える友人にも恵まれ幸せを実感しするでしょう。
でも、自分を壊すほど、どうしても堪えきれなければ親元に帰りなさい。
三十六計逃げるに如かず、親ごを泣かさぬことが一番の親孝行ですよ。
ぜひ、お母様に声をきかせてあげて下さい。
つらい事も、あると思いますが明るく乗り切ってください。大丈夫です
さださんの
関白失脚聞いてみてください!元気がでますよ😮
元気でいるか、初めの一節で涙あふれます。19で初めて一人暮らし始めた頃、長崎空港へ向かう車でラジオから流れて来たこの曲。父はボリュームを上げるのでなく、下げた。聴くのがつらかってらしい。そんな父も86歳。私58歳。心に浸みる一曲です。
心静にふるさとを感じてありがとうお思いになりました
45になってこの歌詞がしみじみわかってきた。
若いうちにこれが書けるさださんは僕にとって雲の上ですよ。
自分は高校のとき今まで我慢してたものが切れて父親と喧嘩してそこから一言も喋らなくなりました。それで関西から関東の大学に行き家を離れましたが毎月大量の食べ物など仕送りが送られてきてその当時は多過ぎてうざいと思っていましたがおじいちゃんが亡くなって3年ぶりに帰り父親と会い、昔からめちゃくちゃ厳しくて謝る事なんかなかった父親が、ほんまに来てくれてありがとう。ごめんなと言われた時は泣きそうになりました。それからちょくちょく会って一緒にお酒飲んだりして父親は恥ずかしがっていいませんが母親がお父さんずっとさだまさし聞いてて仕送りも父親からって知って昔我慢してた事など吹き飛ぶ位父親に感謝しかありません。
読みながら思わず泣いてしまいました……。
いい時代の歌ですね😃切なくなりました💦
誰が泣かせって言った?! いい話を有難う!!!!
こんなにも、優しい親御さんがいるのでしょうか。さださんはいつも私を暖かく優しい気持ちにしてくれます。こんな歌手のかた、他に知りません。
この曲は自分がまだ20くらいの頃の曲で、その頃は聴いても単に良い曲としか思いませんでしたが、もう両親も他界し、孫も居るような歳になった今聴くと涙が止まらなくなります😭 きっと天国で親が聴いて、歌詞のように今でも自分のことをいつも心配してくれているでしょう…親って本当に有難いです。
亡くなった親を、二十を超えた息子を、誰を思っても涙が出てくる歌です。ありがとう。
亡くなったお袋を想い出して涙が出た 東京の大学に行かせてくれてありがとう
自分が小さい頃、親が聞いててメロディだけは好きだったけど、歌詞が理解できなかった。大学生になったいま何となく聞いてみたら泣けてきた。頑張ろう
頑張れ!無理せずにね❣️
20年前、父親と喧嘩して、車に少しの荷物を積んで、出て行った息子。お金も、僅かばかり、私の財布にあったお金を追いかけて、手渡し、それから10年帰って来なかった息子。その時のことを、この曲を聴くたび涙が頬をぬらします。これ
県外に行った、息子を思い出し涙が止まらなくなるので、今は、あまり聴けません。この曲を聴きながら、それぞれが自分の人生と重なり合わせ、自然に涙が出るのだと思います。もう40年以上も前の曲ですが、いつの時代も日本人の心に寄り添い色褪せない、昭和を代表する、名曲だと思ってます。あと、1年くらいしたら、いっぱい聴きます!
息子が家を出ました
自分でもびっくりするくらい
この歌詞が染み渡ります
今日、息子が大学進学のため家を出ました。
一日中メソメソの私。
買い物行っても息子がいつも食べてたチャーハン…
もう、ストックしなくていいんだって思っては涙😢
このお菓子も買わなくていいんだって思っては涙😢
早く息子のいない生活に慣れなくては!
がんばれ!
母!
親の心子知らず それでもいいのかもしれませんね
私も長女が明後日引っ越します。やはりそんな感じになりますよね。受験中は必死だったのでそんなこと思いませんでしたが、最近はこの曲をしみじみ聞いています。まだ同じ関東圏内だから良しとしなくてはと、自分に言い聞かせてます。
@@takakiist 同じ関東圏内なんですね。
こちらは東北から関西方面です。
遠い😭
息子が出て一日たちますが、ふと普通に帰って来る気がして…
息子の部屋も見ると泣けます😢
勉強している様子、寝ている様子、思い出しては涙😢
何日過ぎたら涙でなくなるのかなぁ🙍
しかし、泣いてばかりもいられません!
お互い子供の大学生活全力で応援しましょうね!
頑張りましょう
いつか巣立つ、早く巣立ってくれ と思ったこともあったけれど
母親はむずかる幼い時抱きしめていた頃
いつまでもいつまでも忘れられない
頑張れ 母!! 鏡に向かって 「お前がいなくても おかんはへーきだもんね!」とあっかんべ~をしろ! いつか涙があきれ果てる・・よ。がんばれー 母❤
自分の親のことを思い、そして自分の娘のことを思い、どちらを思っても泣けてきます。
大学進学のために春から一人暮らしを始める私に、父が「さだまさしの案山子聴かなきゃな」と冗談のように言ってきてこの曲を知りました。現在大学四年生。母から、「一人暮らし始めた頃、この曲聞いてお父さん本当に泣いてたんだよ」と言われ、今更ながら父の愛を感じました。
お父さん、ありがとう。次の春から社会人。絶対恩返しするから長生きしてね。
そんな貴方に個人的にお勧めしたいのは、こちらの曲でしょうか。
バイオリン演奏家(音大進学)への夢破れて郷里長崎に舞い戻ったさださんの実体験が下地にある、後年の曲です(『駅舎』)。
ruclips.net/video/s_e4qoQbnZo/видео.html
さだまさしは現代の吟遊詩人だと思います。私は、精神科の医者ですがさだまさし さんの感性が大好きです。優しさと言うか医療福祉にもつながるところがあると思います。
さだまさしの歌でうつ病から立ち治ったという人がいましたからね。精神の病に苦しんでいる人にも支えになる歌がありますね。
東京で一人暮らしをして数年。未だに「たまにでいいから電話をくれ」と言う父親のことを思い出して涙が止まりませんでした。近いうちに一度実家に帰ります。お金はあまりないけど、元気にしてるよ。友だちも出来たよ。
高齢者です、情け無いですが、泣きたくなる時によく聞いています
今はいない母親を思い出してしまいます。
どうしてたまに泣きたくなるんでしょうか?
私も時々あります…
九州から上京して数年経った今。子供のころに父を亡くしたが、その父が言っているように思える。お母さん、おばあちゃん、俺がんばってるぞ。苦しいことばっかりだけど、負けてたまるか!って思う。
それをコメント欄に書くことかな?
頑張って✌️
初めて息子が一人暮らしをするので、今日名古屋に行きました。私が10代の頃には、この歌がピンとなかったのですが 今は、歌詞に出てくるおふくろの気持ちがすごくわかって、涙が止まりませんひと言でもいいから無事に生活していたことを知らせてほしいです。本当に名曲ですね😂感動しました。ありがとうございます。
赤ちゃんの時に原因不明な病気で心配で、、その息子が頑張って一浪して今年から大学を受かって愛知から山口に。。一人で頑張っている息子には、父は無力なんですが、山口の方々の優しさでなんとかやっている。ありがとう。
歌はもちろん素晴らしい
そしてここに書き込まれているコメントの一つひとつもそれぞれの家族かたちや思いが綴られていて涙が出ます
この歌は身に積まされます。19の年、貧しい無学な両親の元を離れ、1人アメリカに渡りました。切り詰めて切り詰めて、電話もままならぬ大きな距離に阻まれながら、アメリカの大学を出してくれた両親。母は一昨年亡くなりました。アメリカの大学で、さださんの秋桜をタレントショーで歌い、アジア人として初めて優勝しました。良い曲は、言葉がわからなくても、外人にも伝わるんですね。案山子も何度か歌わせてもらいましたが、その度に涙が込み上げてきて、歌い切れた試しがありません。沢山の心撃つ歌を作ってくださり、ありがとうございます。これからもどんどん、良い曲を残してください。
コメ欄が親心で溢れてて泣く
この歌を聴くとコロナの為、約2年以上も帰って来ない娘の事を思って切ないです😢又以前のように家族が全員そろう日が来て欲しいです‼️
昭和生まれには、この唄は切な過ぎて、胸に沁み入ります。そして、必ず泪してしまいます。
さだまさしさんの曲はいい曲ばかりだよ。案山子の曲は昔からずっと聴いていたよ。これからもずっと大切に歌い続けてほしいです。ありがとう。
この曲を聴くと、今年の春から、独り暮らしを始めた息子のことを、思い出します。
学生時代も聴いて泣きましたが、
30年後、娘をコロナ禍の中、
東京の大学に出して聴くとまた泣ける。
立場が違っても響く詩です。
とても地味な曲。だけど猛烈なメッセージが込められた名曲。
さださんは間違いなく魂を削って創った作品だと思う。
後世に残したい名曲に推したい。今、とても感動して書いてます・・・。
素晴らしい曲に感心します。私も父から金を送って貰って東京で学生時代時代を過ごしました。いつか父にお返しをしようと思っていました。今は我が家のために娘を育て恩返しして父にいつも仏壇に手を合わせています。
地味かなぁ?w
約40年前の作品ですよ!映像がいつのかわからないけど、若干25歳でこの詩とこの曲を書いて演奏して唄える人、いまいるかしら?なんでこういう文化が育たなくなったのか・・・残念。
息子が大阪の大学を、退学して、半ば強引にニューヨークの美大に行ってしまった時に、丁度、この曲が流れていました。私達の気持ちそのままで、主人は涙をながしていました。あれから 25年、今は日本でデザイナーとして、頑張っています。
親の影響で、16歳というバリバリ平成っ子ですが、小学生の頃からさだまさしさんやその他昭和のアーティストが好きでした。しかし周りに一昔前の曲を聴く人は中々いません。
現代っ子のほとんどは恐らくさだまさしという名前すら知らないと思います。
もし将来子供ができたら聞かしてやろう、この曲。
おお同士よ、自分は18ですけどそんな感じでさだまさしさんはよく聞きますね
人情を感じていいですよね
私も親の影響で10歳くらいからさださんの曲を聞くようになりました。最近では親の影響を受けたさだまさしファン2世も増えてきているみたいですね。
CSObereko わかる、分かります。涙が出るほどいい曲なのに誰も知らない…
結局この話で盛り上がるのは先生達だけww
私は祖母の影響で聞くようになって、他にも父から吉田拓郎や中島みゆき等色々な歌を聞かせてもらって、今の歌を聴く意味が分からなくなって結果大人としか話が合わなくなったのを思い出しますw
字幕実況者R
共感させてください。
リアルで聞いていたけど親になって改めて沁みる歌。
親って無償の愛を子供に注ぐんだよね。泣けてくる。
コロナの中、なかなかご両親やお子さんに会えない状況でこの曲は多くの方の心に響くと思います
55歳のオジサンです。
このPVを見ると、いまだに涙が出てきます。職は違えど一人娘。
俺も訳有って一人娘を育て、今も号泣です。
日本留学時代にさだまさしさんの曲を周りの留学生に紹介すると、なぜかみんなハマってました。。。歌詞と言い、歌い方と言い、ギターの弾き方と言い、留学時代に求めていたニッポンがここにあったような気がします
お金はあるけど寂しか。。。
まさか令和の時代にこんなに故郷と両親を恋しくなる日常になるとは。
さださん偉大です!
親は子供が何歳になっても我が「子」、そしてその受けた愛情に気づき親に感謝している歌だと自分は感じています。 寂しくないか、お金はあるか、と…いつも自分の心配をしてくれてた…と思うのです。
こういう歌を聴いて必ずお母さんを思って泣いちゃうくらい、私はお母さんに愛されて生きてきた
この歌を聞くと父を思い出し、涙が止まりません。ちょうど大学に行っていた頃に聞いた歌です。
こういう時代だからこそ、温かみのある歌詞が胸に刺さる。
去年は長男、今春は次男がそれぞれ新天地へ向かいました。初めて案山子を聞いて自然と涙が流れました。情景が浮かび辛い、、。息子の住む街の方々、息子をよろしくお願いしますm(__)m
いい歌です。家族っていいですね。涙が止まりません。
大学生二人の親です。二人とも家を出て下宿してます。
先日長男が「金送れ」って。(笑)
思わずこの歌を思い出して聞いてみました。何時の時代になってもいい曲ですね。
親父に親孝行する前に逝ってしまった。
めちゃくちゃ後悔した。
本当にここまで兄弟育ててくれてありがとう。
日本一の親父や。
自分が親になって、この歌詞に涙が出ます。
何年前か、、、ずいぶん昔、、、
テレビでさださんが唄うこの曲を聴いて涙ぐむ母を見て、もらい泣き
自衛隊に入隊して2年が経ちます。絶対三曹になって親孝行します。
母さんと父さんの声が聞きたくなりました。
実家に帰りたい。
任務ご苦労さまです。
頑張ってください!
頑張ってな。
日々大変だと思いますが、少しの時間が出来た時にでも電話一本かけてみてあげてください。
言わないだろうけど、内心喜ぶのではないでしょうか。(^^)
頑張ってね!^_^
歌詞がすごいのはもちろん、さださんの歌い方のおかげで歌詞がしっかり聴こえてくる。だからこそ一層心に響く。
❤
”親孝行したいと思う時には親は無し”の言葉が身に染みる。
子欲养而亲不待
この春から息子が関西の大学に進学します。手紙など書くはずもなく親の思いは知る由もないでしょう。それにもう電話ではなくメールでお金の催促をしてくるでしょう。親心にじんわりとしみ込んで胸を熱くします。
こういう歌を紅白で聞きたい!
紅白は遠い昔に諦めました。全く興味無いし、楽しめない。だからBSでもいいから、こういう曲やさ、もっと放送するべき名曲あるしアーティストもいるし、もうちょい考えたほうがいい。
@@naochant875 全くその通りです!!!
ほんとだね。くだらねえ歌ばっか出しやがって。
@@naochant875
この曲聴いてると、自然と涙が出ます🥺
色んな事、思い出して😂
実家から遠く離れた千葉、神奈川、東京に出ていた頃を思い出して泣けてきました。大学生当時、独り暮らしのアパートの部屋で、さださんの案山子をカセットテープで何度も聴いてました。今は亡き父に対して半分ほど反抗心があって遠方に行ったのですが、随分心配を掛けたなあと、この曲を聴く度に、つい昨日のことのように思い出してます😂
歌では無くこれは(さだ小説)だ。
何気無い日常を歌って感動させる才能が凄いと思う。
浪人生、大学生のころ母親がこの曲を聴くと涙がこぼれるって言ってたなあ。40年くらい前です。
大学の頃、一人部屋で聞いて半人前ながら、ただ泣きました。田舎の両親の頑な愛情とか、実直な不器用さとか、いま、あらためて感じ、感謝します。本当にありがとう。決して裕福でない家庭で、私立大学の仕送りは、並大抵では無かったと、今はわかる。でも、俺は真面目に授業にいかないで、馬鹿ばかりしていた。本当にごめん。それでも、最後まで愛してくれて、ありがとう。この曲に再び出会えて感謝します。
人生ってそれでいいのだと思います。
解ったときからそれを身近な人にしてあげれば。
聴く度聴くたびに感動します!
特に『お金はあるか?』『今度いつ帰る?』涙が止まりません❗
子供が大学で長崎に行き、この歌を知り歌うたびに、涙が出て最後まで歌えませんでした。今は息子も結婚して埼玉に孫が2人目が7月に生まれます。
賑やかな友達の中には入らず、横目に微笑みながら見守る息子は自ら友達を育むことを望まない男の子でした。そこで、中学卒業後の進学先は函館の高等学校に進学。同級生、先輩たちとの寮生活・・・そんな不器用な息子も生きる術という叡智を学び始めました。寮生の多くは、口を揃えて「親の有難味を知った…」とNHKの取材で語っていたのが印象的でした。帰路は飛行機ではなく、列車でゆっくり車窓の景色を堪能しながら帰宅するという。何かを噛みしめる様に・・・案山子のような息子も歳を重ねて逞しくなるのを見るたびに、親としてこの曲をしみじみ聞き入る毎日です。さだまさしさんの歌の歌詞には、心が揺さぶられる思いです。
仕事中、移動しながら何となく聴きたくなって聴きました。
思えば、大学入学を機に親元を離れて5年。新卒1年目で右も左も分からない毎日に、心をすり減らしていたのだと聴きながら気づき、知らず知らずのうちに涙が出ていました。
本当は生まれ育った故郷で働き、親のそばで暮らしたい気持ちはあるが、現実はそううまくいかない。
まだ両親は健在ではあるが、長い人生何があるか分からない。ちょくちょく実家に帰って他愛もない話をしたい。
なんでこんなに涙が溢れてくるんだろ
つ 歳
@@伊鈴屋ヒミコ
草
@@伊鈴屋ヒミコ間違いではないよな涙腺の緩さは年齢に比例するしな😂
初めて東北から就職した自分を思い出し、今でも涙が出てたまりません。
今は亡き両親が、いつも私を心配してくれてました。あの時は有難うございました。大好き❤💕な曲です。
上京したての頃、さだまさしのラジオ番組でこの曲が流れた。あんなに憧れた都会は華やかだけど火が消えるととても冷たい寒い所だった。
毎月送られてきた手紙入りの小包とテレフォンカード。手紙が無理なら電話でもいい。ああ、そうなんだ。寂しいのは自分だけではないんだなと。
息子が大きくなったら、どう思うのだろうか。もういないけど父さん母さんに会いたい。
あなたのその感性
大事にしてくださいね。
さださんのコンサートに初めて行った時に、1曲目にこの曲を歌って、その優しい歌声が胸に響いて、気付いたら涙が止まりませんでした。親の有り難さが身に染みます。
この人は天才すぎるわ
この歌を聞く度、オレオレ詐欺とか還付金詐欺で人の心を踏みにじる奴らを許せなくなる。涙しかない。
案山子の2番の歌詞、
「お前も都会の雪景色の中で、丁度あの案山子の様に、寂しい思いしてはいないか、体をこわしてはいないか」
子どもの事を想う親心に、心が熱くなります。感動して涙があふれます。
そのフレーズで私も胸が熱くなりました。私は今年の春から実家を離れて1人暮らしを覚悟でスポーツ推薦で大学に進学した者です。
いくら推薦と言えども、先輩方や同期は一流の選手ばかり。もてはやされた高校時代とは違い、「下手くそ」と罵られる始末。
慣れない方言で先輩方から怒鳴られて、辛くて、家に帰りたくて、親に悩みを打ち明けたくて、1人で辛い気持ちを抱えていました。
そんな気持ちの時に偶々、さださんの「案山子」が流れて来て「お前も都会の雪景色の中でちょうどあの案山子のように寂しい想いしてはいないか」というフレーズを聞いた瞬間に涙がボロボロ出て来てしまいました。1人で家で号泣しました。
今度、親に電話してみようかと思います。
私自身が親にかけてほしかった言葉が歌詞にあり過ぎて、辛い。
互いに思いありが足らないから、死ぬまでに親から聞く事が出来ない言葉が詰まった歌。
この歌は、親から離れて暮らしたあの頃を思い出します。親になっても同じ気持ちになります。
景色を歌い上げ、過ぎ去った時間を貫く子を思う親の愛。
どんなやさぐれたり、力尽きてつっぷすしかないときに、この曲を聞くと残りの命を燃やし尽くして精一杯生きなきゃって思う。そして、故郷の両親に話しかけたい・・・。
まだ目をつぶれない。
さだまさしさんの曲はどれも名曲!
案山子は特に名曲!
何度聞いてもジーンと来て涙出る、
口には出さないが、常に娘を想っている父親。感極まりました。
母が案山子を聴いて泣いてました。
案山子はいい歌ですねー!
都会へ行って暮らしている子どもの事が
心配なんですね🌸
寝る前に毎日聴いて寝ています♪
カラオケ練習して母に聴いてもらっています♪
今年の春、息子が京都の大学に進学し、我が家から送り出しました。
1988年春、私が、静岡から名古屋に大学進学に伴い、自宅を離れました。
子を持って知る親の恩を、実感し、今、この動画を見て感涙している次第であります。
何回聞きに来ても泣いてしまう。車の中で聞いても泣く。元気じゃいれないことも多いし世界にひとりぼっちでいるような感覚が増えた。そんな中でこの曲を聞くと自然と涙が出る。
今何不自由なく過ごせてるのは母親のおかげ。天国の母親に感謝します。
この歌聴くと思い出します。53年前大阪へ就職、母からの手紙同じ様な出だし、元気か慣れたか。涙が出ます、、。
下宿生活を始めてすぐ「金送れ頼む」の電報を打った。
「仕送り増やせぬ」の返事。
借金して学校へ行かせてくれた母も、生活が苦しかったのだ。
バイトして帰省、会うなり「痩せたねぇ」
母も白髪が増えていた。
半世紀前が夢の中だ。
竹原博愛 夢の中でもいい思い出じゃねーか!
いい思い出があるんだからいいじゃねーか!
だろ?
違うか?
いつも空腹で辛い思い出しかありませんが、忍耐力と生き抜く術を学んだことで、
いい経験をしたと思っています。
昼食抜きを知っていた学友がある日、ヘビを捕まえ捌いて塩茹でにして食べさせてくれた。
樋田くん元気にしていますか❤
長生きして下さい👩